宇都宮ゆかりの著名人からの応援メッセージ

【女子サッカー】 鮫島 彩選手

【プロフィール】

【プロフィール】鮫島 彩(さめしま あや)
1987年6月16日 宇都宮市生まれ
宇都宮市立田原中学校ー宮城・常盤木学園高等学校
2021年 大宮アルディージャVENTUS所属


【実績】

2003ー05年 全日本高校女子サッカー選手権大会準優勝
2004年 埼玉国体 サッカー女子 宮城県代表として出場
2011年 ワールドカップ(W杯)ドイツ大会優勝
2012年 ロンドン五輪銀メダル
2015年 W杯カナダ大会準優勝
2018年 ジャカルタ・アジア大会金メダル


国体がサッカー人生の転機に 離れて知った、郷土の魅力

 今年の「いちご一会とちぎ国体」では宇都宮市がサッカーの会場となっています。宇都宮市出身で女子サッカー元日本代表の鮫島彩選手は、2011年のW杯ドイツ大会優勝時に主力メンバーとして活躍したことがよく知られていますが、高校時代には宮城県代表として国体の女子サッカーにも出場しています。鮫島選手にW杯や国体の思い出などをうかがいました。

 


新たな環境で奮闘

 W杯、五輪と日本代表でのプレーのほか、国内外のクラブチームでも活躍を続ける鮫島選手。2021年は国内女子サッカーのWEリーグが発足し、鮫島選手も同リーグの大宮アルディージャVENTUSに活躍の場を移し、その持てる力を発揮しています。プレー以外の部分では、子どもたちを大宮のホームゲームに招待する「シャークシート」の取り組みも始めました。

 

 

ー今シーズンは新たな環境でのプレーとなりました。
 まだシーズン途中ですが、ここまで戦ってきた感想では、新リーグになって各チームの力が分散されたこともあって、予想外のことがたくさん起きている状況です。その中で自分たちのチームは上位にはまだ全然食い込めない実力だなと実感していますし、パフォーマンスの部分でもう少し時間が必要なのかなとも感じています。個人としてはスポンサーのご厚意もあって、1試合30名の子どもたちをホームゲームに招待する「シャークシート」を始めたことは大きな出来事でした。スタジアムでプロサッカーリーグの試合を観戦する経験を通じて将来への目標設定や夢を持つことにつなげてもらいたい、さらには女子サッカーの発展につなげていきたいという思いで始めて,栃木でサッカーを頑張っている女の子も招待しています。新しい取り組みができたことは自分にとってもすごくプラスになっていると思います。


 

 

ー鮫島選手がサッカーを始めたきっかけは、どんなことだったのでしょうか。
 小学1年の時でした。当時、女子だけのサッカーチームはすごく少なかったのですが、私の場合はたまたま地元に河内ジュベニールという女子だけのチームがあって。大先輩の安藤 梢選手(宇都宮市出身、元日本代表、現・浦和レッズレディース)もそこでプレーしていました。自分は知り合いに誘ってもらって、遊びみたいな感じで練習に入れてもらったことがきっかけでした。本当に環境としてはラッキーだったなと思います。

 
 

ー高校は女子サッカーの強豪・常盤木学園(宮城県仙台市)に進みました。親元を離れ、県外でプレーする決断を後押ししたものは何だったのでしょう。
 何だったんだろう。セーラー服に憧れがあったのかな。ジュベニールで一緒にプレーしていた子が2人、常盤木に行くって決めていたので、それも大きかったと思います。自分もやれるとこまでやりたいという。でも行ってみたら練習がとてもしんどくて、最初は3日に1回くらいやめたいと思っていました。朝から晩まで練習で、本当にサッカー一色でした。でも今は心から行ってよかったと思っています。自分たちの代でルートができたので、ジュベニールから宮城の高校に行く子は増えました。栃木の人材を宮城に流出させちゃってますね。(笑)
 


 

ー中学まで過ごした宇都宮市の印象について教えてください。
  正直、中学までよりも、外に出てからの方が故郷の魅力に気づいたということがたくさんあります。個人的には本当に餃子を愛してやまないので、餃子の魅力はもっと外に広めていきたいなと思っています。あとは自分自身がプロスポーツ選手として携わるようになってから、プロスポーツチームがたくさんあるなということを再認識しました。宇都宮ブレックスだったり、栃木SCだったり、宇都宮ブリッツェンだったり。そういったプロスポーツが盛んな街という印象も、外に出てから気づいたことですね。自分自身も今後、スポーツを通していろいろと故郷と関わっていけたらいいなということは改めて思っているところです。

 


W杯で活躍、日本国民に勇気与える

 中学、高校、社会人と、着実にキャリアを重ねていく鮫島選手。日本代表にも選出され、2011年6月のW杯ドイツ大会では左サイドバックとして活躍しました。鮫島さんら日本代表は下馬評を覆す快進撃で、アジアの国としては初となるW杯優勝の快挙を成し遂げました。日本代表の活躍は同年3月の東日本大震災で打ちひしがれた日本国民にとっても、明るいニュースとなりました。

 
 

ーご自身にとってターニングポイントとなった試合、大会を挙げてください。
 数えきれないくらいありますが、一つはやはりW杯ドイツ大会の優勝ですね。本当にいろんなことが変化したので、それはすごい大きな転機でした。もう一つは、実は国体なんです。今年「とちぎ国体」が開催されますが、私は高校2年の時、宮城県代表として埼玉国体(2004年)に出場しました。宮城県にはYKKの女子チームがあって、そこが主体の県代表チームに高校から私が一人だけポンと参加させてもらって。その時の国体が本当に楽しかったですね。国体という特別な雰囲気や、お姉さん方と一緒に出場し、みんなで一緒に宿泊するという環境がとても新鮮でした。YKKのチームは翌年、東京電力マリーゼ(福島県広野町)に移管されたのですが、埼玉国体のすごく楽しかったという経験が、高校卒業時にマリーゼ入団を決心することにつながったので、私にとって国体は女子サッカーを続ける大きなターニングポイントになりました。とちぎ国体も正直、ちょっと出たいなと思っていたんですけど、プロ選手なので…。開催が決定したころは「そのころは35歳だから、プロはもう引退してるかな」と思って、密かに狙っていました。(笑)

 


 

 

ーとちぎ国体で活躍する鮫島選手も、ぜひ見てみたかったです。W杯の話も出ましたが、当時はどのような思いでプレーしていましたか。
 当時、マリーゼ所属で福島県に住んでいたのは大きかったですね。ずっとドイツでの大会だったのでリアルタイムで日本の皆さんの声を聞いたりとかは難しかったのですが、それでもネットを通じて多くの方の激励の声などは選手にも届いていましたし、選手たちもこういった状況でもW杯に参加できるという感謝の思いを持っていました。自分たちが頑張ることで、結果として被災地にパワーを届けられればという思いもありました。日本の方々からの激励の声が後押しになって優勝に結びついたと思っているので、とても大変な状況でも応援してくださった皆さんには本当に感謝しています。

 
 

ーW杯で勝ち進めた要因はどういったところだったのでしょうか。
 一つは恐らく、どの国も日本が勝ち上がってくるとは思っていなかったので、分析もあまりされていなかったと思うんですよ。そういう戦術的な要素はあると思います。でもそれだけじゃなくて、あの時は何か不思議な力が働いていたと思わざるを得ないですね。決勝の米国、準々決勝のドイツも一度も勝ったことのない相手でしたが、不思議と戦う前からこのメンバーだったら行ける気がするということを全員が思っていました。そういう雰囲気があのチームにはあったのかなと思います。

 


後輩にもエール「悔いなきチャレンジを」

 福島第一原発事故の影響で東京電力マリーゼは休部に。鮫島選手はマリーゼの移管先として新たに創設されたベガルタ仙台レディースに移籍します。2012年のロンドン五輪にも出場し、銀メダル獲得に貢献。同年の岐阜国体は、宮城県代表としてベガルタが出場したため、鮫島選手も帯同メンバーとして同行しました。

 
 

ー岐阜国体は選手ではなく、帯同メンバーという位置づけでした。
 私はプロ契約だったので試合に出ることができませんでした。ただ練習は続けなきゃいけなかったので、帯同メンバーという形で参加しました。国体って特別な雰囲気があるんですよね。フリータイムには宿舎から出て街中を散歩したり。普段のリーグ戦では会場に着くとすぐロッカールームに入って試合に臨むという流れですが、国体は会場も比較的オープンなのでいろんな人たちと触れ合えたり、相手選手とも会場のグランドで自由におしゃべりしたりできます。そういったこともスポーツの醍醐味の一つだと思っているので、そこは国体ならではと感じます。街を挙げて盛り上げているという雰囲気もいいですね。
 


 

ー鮫島選手は小さいころから女子サッカーチームでプレーできる環境にありましたが、今もジュニア世代だと環境が整っていない面もあると感じますか。
 昔よりは女子チームも増えていると思います。ただ女子サッカーの場合、中学に進む段階で女子チームが少ないので、そこでやめてしまう子がたくさんいるという課題は今もあると思います。そこはサッカー界として問題解決に取り組むことが重要です。

 
 

ーサッカー以外で、鮫島選手のリフレッシュ法はどんなことでしょうか。
 私の場合はとにかく、人に会うことです。サッカー関係の人だけでなく、全く関係のない職種の方と会うことで刺激をもらうこともリフレッシュになっています。今は同じ埼玉県に安藤 梢姉さんがいるので、一緒にご飯を食べに行きます。財布を持たずに。(笑)今度、私の家で餃子パーティーをしようって約束しています。梢姉さんはトレーニング法にも詳しいので、筋トレを教わったりもしています。

 
 

ー今後の目標を聞かせてください。
 もちろんWEリーグでは「少しでも高い順位を」という思いはありますが、正直、自分たちのチームは優勝を目指すにはまだ早いという段階ですのでまずはチームの土台をしっかりつくることです。また地域密着のチームを作るにも地域貢献をするにも、認知度がないと影響力も広がりません。そういう意味でも認知度をもっと上げていきたいと思います。あとは、せっかく故郷の栃木県の隣県のチームに来たので、「シャークシート」のような活動ももっと幅を広げてやっていきたいと思っています。将来的には、サッカースクールや女子サッカーの大会も開ければいいなという思いも持っています。引退するまでに実現したいですね。

 

 

ーとちぎ国体を目指す、郷土の後輩にエールをお願いします。
 現役時代に自分が住んでいる県で国体が開催されるのは、一生に一度の機会と言っても過言ではないですよね。本当に貴重な機会なので、そこに向けてベストを尽くすことも、いい結果を求めることも大切ですが、結果に関わらず、その後の人生に絶対にプラスになると思います。同じスポーツ選手として、思い切りチャレンジしてほしいということは強く思います。私も出たかった!

 


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